アルシンドは今、ブラジルで「東京ドーム75個分」の農場主に。日本への感謝と移籍の真相

アルシンドの現在について解説する記事のアイキャッチ画像

沢田 剛
30 YEARS
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WRITER PROFILE

沢田 剛 サッカージャーナリスト

1993年のJリーグ開幕戦から現場で取材を続けるベテラン。ブラジル人助っ人選手との親交も深く、アルシンド本人へのインタビュー歴も多数。同じ時代をスタジアムで過ごしたファンの視点に立った執筆を信条とする。

週末の夜、YouTubeでふと流れてきたJリーグ開幕当時のハイライト映像。カッパ頭を揺らしながら爆走し、ゴールを量産するあのストライカーの姿に、思わず見入ってしまったことはありませんか?

「トモダチナラアタリマエ」のフレーズでお茶の間のスターだったアルシンド。あれから30年が経ち、ふと「アルシンド氏は今、どうしているんだろう?」「あの時、なぜライバルのヴェルディへ行ったのか?」と、当時の記憶が鮮やかに蘇ってきたはずです。

結論からお伝えしましょう。アルシンド氏は今、ブラジルで想像を絶するほどの大成功を収めています。そして、その成功の根底には、私たち日本のファンへの深い感謝の念がありました。

この記事では、Jリーグ取材歴30年の私が、アルシンド氏の驚きの現在地と、今だから語れる「禁断の移籍」の舞台裏を解き明かします。読み終える頃には、あなたの青春時代の熱狂が、海を越えたブラジルの地で大きな実りとなっていることに、温かい誇りを感じるはずです。

この記事の要約
アルシンド氏は現在、ブラジル・パラナ州で約350ヘクタール(東京ドーム約75個分)の農場を経営する成功した実業家です。Jリーグ時代の報酬をハイテク農業へ投資し、大豆やトウモロコシを生産しています。鹿島からヴェルディへの移籍はプロとしての決断であり、今も日本を「第二の故郷」として深く愛しています。


目次

Jリーグの象徴、アルシンドが築いた「ブラジルの大農場」の実態

カシマスタジアムの記者席で、あの独特のステップを何度も見てきました。当時、私たちがアルシンド氏に送った声援は、実は海を越えてブラジルの大地を耕す力になっていたんです。

アルシンド氏は現在、ブラジル南部のパラナ州メジアネイラ近郊で、広大な農場を経営する実業家として君臨しています。その規模は、なんと約350ヘクタール。数字だけではピンとこないかもしれませんが、東京ドームに換算すると約75個分という、途方もない広さです。

この広大なサルトーリ農場において、アルシンド氏は大豆やトウモロコシを大規模に生産しています。特筆すべきは、アルシンド氏がJリーグで得た報酬を一切浪費せず、すべてこの土地の購入と最新の農業機械への投資に充てたことです。単に土地を買うだけでなく、ハイテク農業を導入した先見の明と、実業家としての知性が現在の成功を支えています。

✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス

【結論】: アルシンド氏を単なる「陽気なキャラクター」としてだけでなく、極めて賢明な「投資家・実業家」として再定義してください。

なぜなら、この点は多くの人が見落としがちですが、アルシンド氏は現役時代から引退後のビジョンを明確に持ち、日本で稼いだ資金をブラジルの成長産業である農業へ戦略的に投入したからです。この堅実さこそが、アルシンド氏が今も「レジェンド」として輝き続けている真の理由です。

沢田 剛

🎨 アルシンドの農場規模の視覚的比較

アルシンドがブラジルで経営する350ヘクタールの農場と東京ドーム75個分を比較したインフォグラフィック

なぜ鹿島からヴェルディへ?30年目に語られる「禁断の移籍」の裏側

1995年、日本サッカー界に激震が走りました。鹿島アントラーズの象徴だったアルシンド氏が、最大のライバルであるヴェルディ川崎(当時)へ移籍したのです。当時のファンの中には「裏切りだ」と寂しい思いをした方も少なくないでしょう。

しかし、この移籍の背景には、プロとしての厳しい現実と、日本サッカーへのアルシンド氏なりの貢献がありました。

当時の鹿島アントラーズはジーコ氏の引退を機に「チームの若返りと組織化」を急ぐ戦略をとっていました。対照的に、ヴェルディ川崎は圧倒的な個の力を集める「スター軍団方針」を掲げており、この両クラブの戦略的対比が、アルシンド氏の移籍というドラマを生んだのです。アルシンド氏は依然として高い得点力を誇っていましたが、鹿島との契約更新条件は折り合いがつきませんでした。そこへ、スター軍団としての地位を盤石にしたいヴェルディから、破格の条件でオファーが届いたのです。

アルシンド氏とヴェルディの関係は、単なる金銭的なものではありませんでした。アルシンド氏は「強いライバルがいるからこそ、Jリーグは盛り上がる」というプロの論理を理解していました。

「鹿島を去るのは本当に辛かった。でも、プロとして評価してくれる場所で全力を尽くすことが、日本のファンへの一番の恩返しだと思ったんだ」

出典: アルシンドが語るJリーグ「あの移籍の真相」 – Number Web, 2022年2月

アルシンド氏はヴェルディでも期待に応え、移籍初年度に19ゴールをマーク。鹿島とヴェルディという二大巨頭の対立構造を象徴する存在として、リーグの熱狂をさらに加速させたのです。


息子イゴールもJリーガーに. アルシンド家が日本を「第二の故郷」と呼ぶ理由

アルシンド氏と日本の絆は、アルシンド氏一人で終わったわけではありません。その血脈は次世代へと引き継がれています。

息子のイゴール・サルトーリ氏もまた、プロサッカー選手としてJリーグのピッチに立ちました。鹿島アントラーズのユースからトップチームに昇格し、その後も横浜CFなどでプレー。親子二代でJリーグの舞台を経験したことは、アルシンド家にとって最大の誇りとなっています。

また、アルシンド氏の日本愛は言葉だけではありません。2011年の東日本大震災の際、アルシンド氏はブラジルからいち早く「何かできることはないか」と連絡をくれ、チャリティーマッチのために自費で来日しました。

アルシンド氏にとって日本は、単に「稼いだ場所」ではなく、家族の歴史が刻まれた「第二の故郷」なのです。

📊 アルシンド・サルトーリの日本における足跡と貢献

項目 内容・実績 ペルソナへの示唆
Jリーグ通算成績
125試合 79得点 圧倒的な得点力でリーグ草創期を牽引
主な所属クラブ
鹿島、ヴェルディ、札幌、G大阪 日本各地のファンに愛された証
次世代の育成
息子イゴールがJリーグ入り 日本との絆が一時的でないことの証明
社会貢献
震災復興支援への積極的参加 損得勘定抜きでの深い日本愛

まとめ:アルシンドからのメッセージ

「トモダチナラアタリマエ」

あの懐かしいCMフレーズは、今やアルシンド氏と日本のファンの関係そのものを表す言葉になりました。

アルシンド氏は今、ブラジルの広大な農場で、日本で得た種を大きな実りへと変えています。アルシンド氏が成功を収め、幸せに暮らしているという事実は、当時のJリーグブームを支えた私たちファンの熱狂が、決して無駄ではなかったことを教えてくれます。

私たちの声援が、海を越えてアルシンド氏の大地を耕したのです。

今度、当時のサッカー仲間と酒を酌み交わす機会があれば、ぜひこの話をしてみてください。「あのアルシンド、今じゃ東京ドーム75個分の農場主なんだってよ。でも、今でも日本が一番好きらしいぜ」と。きっと、あの頃と同じように会話が弾み、美味しいお酒が飲めるはずです。


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